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(読者投稿)退職後 喫茶店を始める〔その三〕 開店したけどヤバイよヤバイよ

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そして開店・・・卒業生との約束を果たす日が来た

(その二より続く)
平成28年7月23日。退職から4ヶ月、卒業生との約束を果たす日が来た。教師からマスターに羽化する日でもある。ネクタイに未練はなくエプロンが似合う男になりたかった。開店前、心臓が口から飛び出るほど緊張する。最初の赴任校で全校生徒を前に深々と礼をして、マイクに額をぶつけて以来だ。

午前11時、開店。すぐに二人のマダムが入店。ひとしきり店内を見回すとカウンターに陣どり「あらあら、眺めがすごいわね」と感嘆する。うんうんそうだろうと頷きながら水とおしぼりを運ぶ。マダムは私を下から上まで眺め回すと「眺め良いわね。こんな風に海が見えるんだ」と言う。「はい、ありがとうございます」と無難に応え、「ご注文が決まりましたらお呼びください」とキッチンに戻る。軽く脇汗をかき、ふうとため息をつく。

手伝いに来た友人が笑う。私の5歳上の釣り友で退職後はボイラーマンをしている。釣りと漁猟の違いが理解できず、漁獲量で釣りの良し悪しを判断するが気持ちの良い男だ。サンマが港に入ると2台の投光器を5メートル間隔に並べ、サンマを集めて1台の灯を消す。もう1台の投光器に群がるところを網で一網打尽にする特技を持つ。その友人に「緊張するしょ」と言われて頷く。
妻に手伝ってもらいたいが、私が網走に戻ると同時に私立高校の寄宿舎で働き始めた。そうは言わないが、カフェが立ち行かなくなった時の保険だろう。

ナポリタンとカレー。飲み物は付くの?

お客に呼ばれて駆け付ける。「ナポリタンとカレー。飲み物は付くの?」と聞かれ「はい、自由にお選びください」と応える。飲み物付きで750円に設定した。「じゃあホット2つね」。はいと返事してキッチンに戻る間も無く客が2人来た。え、どっち優先と軽くパニックになる。「俺、水出すわ」と友人が言い、私は調理に専念する。


コンロが2つで調理中お湯が沸かせないと気付き再びパニック。料理が出せないうちに次の注文が入り、さらに客が来る。アワワワしているうちに1日が終わった。友人は途中で帰ったが感謝の一言。

そんなパニクる日が続いたが1ヶ月ほどで慣れた。順番に調理する。待たせる時は伝える。仕事と接客は丁寧にやる。事前準備を入念に行う。当たり前のことだ。

ハニーデーは長く続かない

地方都市の新規開店は珍しく、どんな店でも当初は客が入る。しかし見極めは一度か二度で終わり、後は実力次第。ハニーデーは長く続かない。3ヶ月も経つと客足が減り、冬になるとゼロの日が続いた。冬の寒さと暗さがカフェに潜り込んだようだ。

原因は明らかで他店と比べてメニューが貧弱なのだ。食事はカレー、ヤキソバ、ナポリタンの三択。2種のケーキと8種類の飲物。メニューを見てそのまま立ち去る客もいた。

2年目はさらに減り、パソコン相手に囲碁する時間が増える。しかも負け続けて腹が立つ。少しの雪でも除雪するから駐車場は完璧だが客は来ない。さすがに「どげんかせんといかん」と東国原風に思い、解決策を練る。

まずメニューを増やすことだ。試行錯誤しながら、妻と娘の厳しい審査に合格したものから出す。ハンバーグランチ、チキンチャップ、キーマカレー、ピラフ、ピザトーストを投入。

妻もケーキを4種類に増やして援護射撃。さあ、これでどうだと2回戦に挑もうとした矢先、いきなりコロナが発生。豪華客船閉鎖のニュースが連日流れる。ヤバイよヤバイよ、今より客が減るとどうなる。

不思議なことに滅入らなかった。妻のおかげで生活は困らないし、店も返せない。いよいよ駄目なら閉店するまでよと開き直った。予想通り客足は減り、春になり夏になり秋の気配が漂う。ここらが引き際かと思った。

いけると思います!

すると網走市がコロナ援助金を飲食店に配り、店の紹介記事が何誌かに掲載された。ビールパーティーの景品にお食事券を出してアピールした。冬に海竜モサザウルスを作ると新聞に掲載された。
翌年の春には、妻の職場の先生方が連日来てくれた。手仕事仲間展でお菓子とコーヒーを格安で提供した。障害者と親で作るボランティア団体に定休日のカフェを提供して菓子を作ってもらった。その菓子をカフェで販売した。妻がマスク不足に目を付け、自分で作るマスクキットと完成品を売り出した。
考え付くことは全部やった。閉店のアリバイ作りでもあった。

どの対策が効いたのか、客足は少しずつ戻り始めた。「いけると思います!」。開店からはや5年目を迎える頃だった。
(その四へ続く)

北海道網走市 喫茶店 七つの海マスター

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