静かに筆を運ぶ時間を持ったのは何年振りだったでしょう。
小中学校の授業で半紙に向かっていたあの頃から、気づけば何十年も筆を手にしていない。仕事ではワープロ、そしてパソコンへと移り変わり、文字を書くといえばキーボードばかり。便利さの裏で、手書きの温もりは少しずつ遠ざかっていきました。
けれど、美しい文字を書く人を見かけると、どこか胸の奥がざわつきます。
「いいなあ、あんなふうに書けたら」
「昔はもっと書けていた気がするのに」
「いつかやってみたい」
最初から硯や墨を揃えるのは気後れしてしまい、まずは筆ペンを一本だけ買ってみました。キャップを外すと、あの懐かしい“筆のしなり”が指先に戻ってきます。久しぶりに書いた自分の文字は、正直なところ、思っていたよりずっとぎこちなくて、線も震えていて、笑ってしまうほど。でも、それが妙に面白い。
「そうそう、こんな感じだったな」
と、昔の自分と再会したような気持ちになりました。
書いていると、自然と呼吸がゆっくりとなります。パソコン、スマホばかりで、漢字もすぐに変換に頼ってしまう生活でしたが、筆で一文字ずつ書いていると、忘れていた漢字の形を思い出す作業がちょっとした脳トレのようです。
練習した文字を、試しに封筒の表書きに使ってみました。たった数文字なのに、なんだか背筋が伸びるような気持ちになります。上手い下手ではなく、筆で書いた文字には気持ちがそのままにじむようで、ちょっとした手紙でも“丁寧に書いたよ”という思いが伝わる気がします。
上達にはとても程遠いけれど、
「今日も一文字だけ書いてみよう」
そんな気軽さで続けています。筆を持つ時間は、私にとって“静かな自分に戻る時間”になりつつあります。大げさな挑戦ではないけれど、こういう小さな一歩が、暮らしの中に新しい風を運んでくれるのだと実感しています。
次は、もう少し太い筆ペンにも挑戦してみようかな。あるいは、思い切って硯と墨を買ってみる日が来るかもしれません。
風待ち日和

