米寿を過ぎ、身体にガタが来たことを実感する今日この頃ではあるが、来年の卒寿は健康寿命を維持したまま迎えたいと願うとともに、これまでの生き方を続ければ、可能だろうと考えている。
振り返れば
我々の世代は生まれた時から、小学校(当時は国民学校)2年生での敗戦まで戦争の惨禍を生き抜き、さらに数年の混乱期を乗り越えてきた。小学校5年生頃から、ようやく世の中の混乱も落ち着いてきたが、主食のコメは輸入に頼る時代であった。空襲や飢えで死ぬことも無く育ててくれた親には、感謝の念しかない。
そんな中で、戦争の大混乱期の前の幼児期や小学5年生頃から高校卒業までの十数年間、絵本から教科書までいろいろな本を読み漁り、授業を受け多くの夢を持った。そして気が付いたら私の人生はその頃の夢を一つひとつ実現する旅であった。
幼児時代に「野口英世」の伝記の絵本を読み「博士」に憧れ、大学院まで進み、これを取得し、大学に職を得て研究者の道を歩むことができた。結婚相手も同じような道をたどり、二人の共通点は薄給の身だから、無駄使いは出来ないとの認識だった。子育てが終わっても、必要な経費はケチらないが、無駄使いはしない主義は変わらなかった.
体質的にアルコール類は受け付けず、たばこは意識的に吸わなかった。賭け事も大嫌いで、これまで招待されて一度だけ競馬を見に行った以外、競輪もボートもパチンコも賭け事にはまったく興味が持てなかった。同様に囲碁、将棋、麻雀、トランプなども、まったくやる気はなかった。
南極で越冬中に、食後の付き合いもあり麻雀を覚え、ほぼ毎晩雀卓を囲んだが、帰国後は、誘われてもやる気が起こらなかった。現在住んでいる集合住宅でもシニア世代が、高齢者の頭の体操で、定期的に麻雀をやっているが、私は参加する気は全くない。面白くないからである。このような社会的ずれは、他人に迷惑をかけていないので許されるだろう。
またゴルフは練習でコンスタントに300ヤードを打てたが、好きなスキーとの両立は、自分の給料では無理だと分かったのでやめた。ゴルフ道具を持っていないので誘いもないので、気が楽だった。
友人の中には、「酒は飲まず、たばこも吸わないのだから、金が残るだろう」と言う人もいた。確かに貯金は少しずつ増えていったが、ひところ流行した言葉「マネービル」という感覚での蓄財はしていなかった。
自分の「趣味は旅行」と考えたことはなかったが、学校で習った「国立公園」に興味を持ち、機会があれば訪れていた。「子供時代の夢の実現」である。国立公園や国定公園は、子供時代より増えるし、日本三景などの名所、旧跡も知り訪れる場所も増えた。結局旅をすれば、その費用は貯蓄から引き出すことになる。
また50歳近くになり登山も始めた。元々山登りは好きではあったが、ごく普通の登山であった。同行してくれる友人ができ、岩場のある山への挑戦をするようになった。北アルプスの槍ヶ岳は、東、南、西からは一般道で登れるが、北側からの登山道はない。友人二人のサポートで北鎌尾根の岩場伝いに槍ヶ岳への到達も実現した。
南極観測隊への参加
私が幸運だったのは、南極観測隊へ参加できたことである。2026年に南極・昭和基地で観測や研究を続けている隊は第67次南極地域観測隊で、「2代目しらせ」で南極に行った人たちである。
日本は国際地球観測年(IGY)で臨時に実施された南極観測に、観測船「宗谷」で参加し、昭和基地を建設した。IGYは臨時体制だったので、昭和基地は第6次隊で閉鎖された。そして専用の南極観測船として「ふじ」が就航し、極地研究所が創設され、日本の南極観測は恒久体制が整えられ、昭和基地は再開された。
再開後の2番目の第8次隊は1967年の1年間昭和基地で観測・調査を続ける隊で、私は臨時体制の地震観測を恒久体制の地震観測網にするために、地球物理担当隊員に指名された。
私の大きな夢の一つに、「どこでも良いから地球上で最初の一歩を踏みたい」があった。当時はまだヒマラヤには、私でも登れそうな未踏峰の山がかなり存在していた。夢の実現にはそんな山に登ればよいだろうと考えていた。
南極に行けば未踏破地域に行ける機会はあるだろうと、指導教官の南極行きへの説明に、「お願いします。行かせてください」と即答した。そして越冬中、私の気持ちを理解した隊長の計らいで、未踏地踏破の目的は達せられた。ギネスブックにも出ない小さな出来事ではあったが、私には子供の時からの夢が実現した大舞台であった。
南極大陸はシニア世代にとっても旅の大きな目的地の一つになっている。海外旅行の高額な大目的地であるが、私にはいつの間にか、楽しい仕事場になっていた。昭和基地での越冬2回を含め、私が南極大陸で過ごした時間は5年を超える。
定年
定年を迎えると、研究者の多くは研究を続けようと、再就職先を探した。私は研究者としての楽しみも苦しみも十分に味わい、自分の能力を考えた時、定年後に研究生活を続けても、生存中に自分が持っている課題の解決はできないだろうと、研究はすべてやめ、頼まれていた非常勤講師も、数年間ですべて断った。
学部の学生を教える非常勤講師は、最先端の科学情報も教えなければならないと考えていたので、その勉強は大変なので、講師の継続を断り、所属学会もすべて退会した。退会理由の一つは、国際的な学会も含め年10万円以上になる学会の年会費は、年金生活には高額だと考えたからでもある。
しかし私は地球物理学者として、地震、火山、南極に関する学問を、税金によって育てられた。納税者に対する義務として、自分の学問がどんな分野か、そこで自分はどんな成果を出し人類に貢献してきたかを啓発するための執筆活動は続けている。したがって、定年になり、毎日が日曜日になっても、暇を持て余すことも無く、日々過ごしている。
旅行
それでも時間があるので、子供時代からの夢、外国の地を訪れることを始めた。現役時代も国際会議などで、海外にはかなり出かけた。会議のエクスカーションには参加し、付近の名所、旧跡を訪れることはあったが、いわゆる観光旅行はしたことがなかった。
したがって、大英博物館でロゼッタストーン、パリのルーブル美術館でモナ・リザ、イタリアでポンペイの遺跡を見たいという程度の夢は実現できていたが、南極大陸を含め、外国への観光旅行はしたことがなかった。
結局私の海外旅行は趣味ではなく、子供時代に描いた夢と希望を実現するための旅である。ある程度の貯蓄はあり、将来高齢者施設に入るにしても、困らない程度の人生設計をしたのち、余りそうな金を資金に夢の実現の旅をくりかえすことにした。

健康
このような背景があり、私は子供時代から青年時代までに抱いた夢と希望はほとんど実現した。現在はその後に行きたいという希望を持った地に行く機会を狙っているが、これまでの夢の実現でも十分満足と考えている。
米寿になって振り返ると、自分の長年の夢が実現できていることに、満足感と幸福感、そしてそんな環境が得られた人生に感謝の毎日である。しかしそれも米寿まで何とか健康寿命を維持しているからである。まさにシニアの豊かな人生を謳歌している。
南極観測に参加するようになり、私は毎年健康診断を受けるようにしていた。南極に行く年はもちろん、行かない年も健康診断は受け続けたが、還暦までは健康には問題がなかった。しかし、60歳を過ぎると前立腺肥大、狭心症、膀胱癌などが次々に発見された。
膀胱癌では「この癌が他の臓器に転移したら余命半年です」と言われたのは喜寿の前だった。当時は東京オリンピック(2020)が数年後に迫っていたので、オリンピックの時はこの世の人ではないかもしれないと考えていた。幸い、4回の癌の手術を含め、10回ほど入退院を繰り返したが、無事に乗り切れ、米寿を迎えた。
30年間、人間ドックで診ていてくれた医師が定年になるのを機に、「泌尿器科の方では定期的にCTやMRIの検査をしているので、もう人間ドックもよいでしょう」と言われ、現在は泌尿器科と循環器内科を定期的に受診し、健康を保っている。狭心症も2回発症し、心臓にはステントも入っている。しかし倒れる前に処置をしているので、身体へのダメージは少なかったようだ。
したがって現在では「二病息災」と言う状況で、日々困ることなく、元気に過ごしているので、自分の健康寿命は保たれていると考えている。
家事
友人の中には、定年後、料理教室に通い、調理師の免許まで取得し、毎夕食は家族の分も自分が調理する人がいる。そんな友人を偉いなとは思うが真似をしようとは思わない。登山経験や南極生活で身に着いたのか、私も自己流には3度の食事を自分で調理することを厭わないで過ごしている。家にいるのにわざわざ外食する氣は起らない。私のように家事を平気でやる男も、最近は少なくないらしいが、友人の中にはまったく家事をやらない人もいるようだ。
そんな友人が配偶者に先立たれたら悲劇である。その一人をたまたま、駅周辺の繁華街で認めた。彼は食堂やレストランをのぞきながら、その日の昼食場所を探していたらしいい。その後その人に会ったときの話では、朝食はパンと牛乳、時に卵も食べる、昼は外食し、夜は主におかずを買い、ご飯だけは自分で炊くようにしていると話していた。最近はすき焼きができるようになったから、今度招待すると言っていたが、それから間もなく亡くなった。彼にとっての家事は重労働だったのだろう。
同じような友人がほかにも数人いる。私の交友範囲で数人だから世の中には、同じようなシニアの男性が30~40%ぐらいの割合でいるのではないかと想像している。
読書
趣味がないので、定年後は本でも読んで暮らそうと考えていた。そのため全集物を3種購入しておいた。合計50冊ぐらいにはなるので、それだけあれば、退屈もしないだろうと考えていた。ところが前述のとおり、執筆活動ができるので、読書量もあまり進まない。
自分にとっては計算外だったのが、白内障の手術は受けていないが、目が悪くなり読書力が減ってきた。この事実は予想外だった。拡大鏡を手元から離せなくなったのは残念だ。そのほかはほぼ予想通りの人生が送れている。
シニアの現実
シニア世代も長くなり世の中はかなり見えてきているつもりである。楽しい人生、豊かな人生が送れていることに、素直に感謝しながら毎日を過ごしている。自分自身は満足に過ごしてはいるが、よく考えてみると、世の中はシニア世代に過酷でもある。
何事も判断基準は「高齢者だからダメ」と一律に決めつけ、自分の預金100万円を一度におろせない。政府が推進するNISAに協力しようとしても、子どもの許可がいる、夫がいても成年後見人でなければ許されないなど、あげればキリがない。
家内が先に施設に入ったが、夫の私は身元引受人にはなれない。家内同様に高齢だから、身元引受人になっても役に立たない人が多い、という論理のようである。しかし家内にとっては私が一番の理解者であるから、私よりははるかに家内の気持ちや考えを理解できない子供、それ以上に理解できない第三者でなければ身元引受人にはなれない。これは家内にとっては最も理不尽なことである。しかし、それが現実なのだ。
シニア世代は確かに時代遅れの面で、社会に追従できない人は多いだろう。しかしそうでない人も決して少なくない。現状の高齢者虐待は直ちに再検討して、誰に気兼ねすることなく余命を楽しめるような社会にすべきである。
戦争を知る最後の世代として
2025年10月、高市早苗さんが日本初の女性で首相になった。高市さんは故安倍晋三氏を師とし、その政治を継承すると広言してきた。2026年の衆議院選での大勝利後は防衛力強化の予算を打ち出し、トランプ大統領ともうまくやっているようだ。世の中の多くの人が支持しての総理大臣高市早苗さんだが、支持した人たちが気付いたら、日本は大国とも戦争のできる国になっていたということが無いようにしてほしい。
戦争を知る最後の世代として、私たちの多くは、日本は太平洋戦争を最後に二度と戦争をしてはならないことを強く訴え続けてきた。自衛のためだろうと思っていたら、いつの間にか大国との戦争もできる軍備を有する国になってしまっていたということの無いよう、国民一人一人が注意と関心を持ち続けて欲しいと切に願う。
(執筆者プロフィール)
神沼 克伊(かみぬまかつただ)
国立極地研究所並びに総合研究大学院大学名誉教授、固体地球物理学が専門。

