(その一より続く)
早速家主に電話して中を見せてもらう。海側と道路側に1つずつ2つの部屋があり、あとはキッチンとトイレだけ。シンプルな作りでますます気に入る。建物自体は30年前に喫茶店として建てられたがほどなく閉店。その後薬局となるも、役目を終えて2年前から空き家になった。
所々に喫茶店当時の名残りはあるが、全体的に古びて大改装が必要だ。家主と話しているうちに、奥様が網走の高校に勤務した時の同僚と判明。そこからとんとん拍子に話が進み購入に漕ぎ着ける。こうして器を手に入れた。あとは中身だ。ここから私の疾走が始まる。店舗の改装、メニューと価格の決定、メニューの試作と練習。必要物品の購入、保健所と消防署の許可申請、食品衛生管理者の免許取得。やるべきことは山ほどある。
店舗の改修始まる
まず店舗改装。建設業者に一括で頼めば楽だが、まる二日考えて資金節約とスピード重視のため5つの業者に直接依頼することにした。「壁紙と床の張り替え」、「電気配線と照明器具」、「キッチンとトイレとカウンターの改装」、「外壁と屋根の塗装」、「ストーブとエアコンの設置」である。5月末に業者に集まってもらい、施工の順番や期限などを決めた。
メニューは? ケーキセットとカレー、焼きそば、ナポリタン
次にメニューと価格の決定。プロとアマの違いは何か、と聞かれたある料理人がしばし考えて「何回作っても同じくできるのがプロですかね」と語った。当たり前のようでなかなか出来ない。さて、お金を出して食べて頂くレベルの料理が幾つ作れるか考える。単身赴任時代、公宅で若い先生方に料理を振る舞った。羅臼は漁師の保護者が多く「先生、魚食うかい」と聞かれ「食べます」と応えようものなら箱で届く。ホッケや鱈は嬉しいがホヤは参った。海のパイナップルと呼ばれるが、酢の物で精々1、2個食べるだけ。残念ながらこっそりほぼ捨てた。
若い先生は料理などしないから「先生、もらいました」と私のところに持って来る。仕方なく「これで呑むか」と言うと嬉々として集まる。週末、私の公宅は居酒屋になり、どんな料理を出しても「先生、美味いです」と言う。絶対まずい料理でも下を向いて「美味いです」とつぶやく。自分は梅宮辰夫かと思ったが、まさかそんな適当な料理をカフェでは出せない。不味いものを出せば、日本の客は文句を言わずに去り二度と来ない。だから恐ろしい。
妻と相談して確かなメニューだけに限定した。その結果、食事はカレーと焼きそばとナポリタン。ケーキセットは妻が焼く2種のケーキと8種の飲み物の組み合わせ。決定してしばらく家の夕食はカレーと焼きそばとナポリタンのローテーションになった。並行して必要な物品の書き出しと購入を始める。椅子テーブル、食器、調理器具、棚、炊飯器、冷蔵庫、コーヒーメーカーなど思いがけないほどある。電化製品は一括して買うが、それ以外はこまめに店を回った。
さぁ、形は整った
さらに隙を見て店の図面と保健所に行き、水回りの助言をもらう。蛇口とシンクが最低3つ必要と知る。消防署で火気取り扱い注意を受け、外置き灯油タンク新設の許可を得る。食品衛生管理者の講習を受けて免許取得。最後まで決まらなかったのはコーヒー豆だ。カフェと名乗る以上それなりのコーヒーを出さなければならない、なんて思ってしまった。コーヒー専門店ではないから出すのは1種類だけにして、10種類以上の豆を買って毎日飲み比べした。何がなんだか分からなくなったが、コーヒーを飲みすぎて腹は黒くなったろうと妻と2人で「お主も悪よのう」と越後屋ごっこをして遊んだ。
こうしてミツバチのように動いているうちに改装は進む。床と壁と天井の張り替えが終わりトイレ、キッチン、水回りが終了した。道路側の部屋にマンガ本2000冊を並べて読書室にした。子供が遊ばなくなったソフビの怪獣を飾った。海側の部屋にカウンターが完成して椅子とテーブルを配置した。キッチンで試作したカレーをカウンターで食べたりした。保健所の視察があり許可が下り、400Lの灯油タンクが外に置かれ新しいストーブが設置された。電気工事が完了してエアコンが壁に付いた。こうして2ヶ月、店舗はテンポ良く仕上がり形が整った。
店の名は 「七つの海」
肝心の店の名は「七つの海」にした。海賊的だが娘の名が七海で親バカである。こうして開店準備は整ったが、いきなりのオープンは危険だ。用心のためプレオープンを3回行ない微修正した。あとはオープンするだけだ。季節は夏になり、7月も終わろうとしていた。
(その三へ続く)

北海道網走市 喫茶店 七つの海マスター

