リタイアしてからというもの、時間はたっぷりあるはずなのに、気づけば一日がぼんやりと過ぎていく。
「このままじゃ、なんだかもったいないなあ」
そんな思いが胸のどこかに引っかかっていた。
実は私は、細かいところが気になるくせに、切り替えは早く、そしてズボラという、なかなか扱いづらい性格をしている。現役時代は手帳を常に持ち歩き、年末には翌年の手帳を念入りに比較して選んでいた。ところが、新年早々に書くのを忘れ、気持ちを切り替えるためにまた新しい手帳を買う。
1月始まり、4月始まり、その間にもう一冊。手帳のせいではない。完全に“所有者の問題”である。続いてもせいぜい4月か5月まで。メモに書いたり、スマホに入れたり、また手帳に戻ったり。とにかくムラっ気がすごい。
リタイア後も、「24時間365日フリー」という夢のような生活が始まったはずなのに、計画を立てても三日坊主。今までの延長で日付だけが並んだ簡単なダイアリーに予定と結果を書き込むことにしたが、これも続かない。空白の日が増えるたびに、なんだか自分が空白になっていくような気がしてきた。
「一日一日を、このまま無造作に流していいのだろうか」
そんな気持ちがふくらんだ頃、ふと気づいたのが日記の存在である。
日記にはいろいろな効用があると聞いたことがある。一日の出来事を思い出して書くことで脳が活性化し、心も落ち着くという。シニアにとっては、記憶を保ち、気持ちを整える小さな習慣になるらしい。
私は文字に書き起こすのが苦手である。ただ、落書きのような絵を描くのは昔から好きだった。上手いわけではない。むしろ“漫画のようなイラストのような、カットのような何か”である。
そんなことを思いながら、私は絵を主役で記録してみることにした。小学生の夏の宿題のような「絵日記」である。一日のすべてを描くのではなく、その日の中で一番印象に残った“ドラマチックな一コマ”だけを絵にする。10〜20分で描ける簡単な絵。恥ずかしいほど下手でもOK。そもそも日記など、誰に見せるわけでもない。自分だけの楽しみなのだ。
最初はブロック式の手帳に描いてみたが、マス目が小さくてコメントも書けない。悩んだ末に、普通のノート(無地)に落ち着いた。1ページに1日分でも、2日分でも、3日分でもいい。その日の気分で自由に描く。これが思いのほか楽しい。
1か月続けてみると、ページをめくるたびに自分の絵が並んでいて、思わず笑ってしまう。
「こんなことあったなあ」
「この日は妙にテンション高かったな」
絵にすると、なぜかポジティブな場面ばかりが残る。嫌なことは絵にしづらいからだろう。結果として、過去が明るい思い出で埋まっていく。これはなかなか悪くない。
絵もコメントも、最初はぎこちなかったが、だんだんこなれてきた。いや、下手すぎて情景もいま一つのものばかりかもしれない。でも、それもまた味である。三日坊主?今回は気にしない。空白の日があってもいい。思い出したときに描けばいい。のんびり、のんびり続けていけば、一冊のノートが終わる頃には、きっと自分だけの“絵日記の世界”ができあがっている。
これが、私の日記の楽しみ方である。
たんすけ

